研究内容
研究の概要
早水研究室では、生物学の世界とエレクトロニクスの世界を繋げる界面の研究を行っています。生物はダイナミックな生体分子の活動を利用して、生命を維持しています。その生体分子の動きを、電子信号へと変換するのがバイオセンサーです。多様な生命活動を検出するためには、固体表面での生体分子の構造と固体表面の電子状態を同時に理解する必要があります。私たちは、代表的なナノ材料であるグラフェンを電子材料として用いることで、この問題に取り組んできました。
目次
ペプチド自己組織化
2次元材料上のペプチド自己組織化
バイオセンサーの開発では、生体分子と電子デバイスの界面制御が重要です。グラフェンなどに代表される2次元材料は、原子レベルで平坦な表面と優れた電気特性を持ち合わせており、生体分子と固体表面の電子状態を研究するのに適しています。
設計された自己組織化ペプチドは2次元材料上で均一に並び、秩序立った単分子層の2次元構造を形成します。これらの自己組織化ペプチドは、ペプチドのアミノ酸配列に応じてグラフェンの電気特性を変化させます。グラフェンなどの2次元材料の表面で、これらのペプチドを分子足場として活用することで、任意のペプチドを表面に固定化することが可能となり、グラフェンなどの2次元材料をバイオセンシングのための素材として活用することができます。私たちが開発したペプチドは、絹糸タンパク質のアミノ酸配列を模倣したグリシンとアラニンの繰り返しアミノ酸配列をもち、高い構造安定性を持った単分子膜へと自己組織化することができます。これにより、分子足場として最適なペプチドが誕生しました。
このペプチドは、自己組織化によって、ペプチド水溶液を滴下するだけで容易に2次元材料と生体分子との界面を形成することができます。この界面の電子状態の理解と制御を実現することで、新たなナノバイオエレクトロニクスを生み出すことができるでしょう。
Hayamizu Y., et al., Scientific reports, 2016, 6(1), 33778.
Li P., el al., ACS applied materials & interfaces, 2019, 11(23), 20670-20677.
自己組織化機構の理解
ペプチドの自己組織化を観測し、そのメカニズムについて理解を深めることはペプチドの設計やセンサーの開発などに向けての基盤技術を築くために欠かせません。私たちは、いろいろなペプチドを用いて、ペプチドが2次元結晶ともいえる単分子膜厚の秩序構造を形成する機構について原子間力顕微鏡などの観察手法を用いて研究してきました。私たちの研究室を含めて、世界中のグループによってペプチドの固体表面での自己組織化メカニズムは研究されており、基本的には、溶液中のペプチドが固体表面に吸着し、その後、表面を拡散しながら核形成、そして結晶成長の順に自己集合をしていることが分かってきています。その中でも私たちが特に興味を持った点は、ペプチドの自己組織化構造が常に下地の2次元材料の結晶構造と同じ対称性をもった秩序構造を形成しているという点でした。
ペプチドやアミノ酸は光学異性体を持っていて、D体とL体があります。これらの光学異性体がどのように2次元材料の結晶格子を認識するのかについて興味を持ちました。そこで単層MoS2上でL / D型のペプチドを自己組織化したところ、それらのペプチドはMoS2結晶の表面で、線対称の方向(27度と33度)に線形の秩序構造を自発的に形成することが分かりました。これは、ペプチドが下地の結晶構造を認識して、それに合わせて秩序構造を形成していることを示唆します。ここから私たちは、半導体の結晶構造でよく知られていると「格子整合」がペプチドでも実現されていると確信しました。この知見によって、ペプチドのアミノ酸配列を設計することで、ペプチドが2次元材料表面で整列する結晶方位を任意に制御できる可能性があることが明らかになりました。
さらに、ペプチドの2次元材料表面での自己集合は、水溶液に有機溶媒を混合することで、大きく影響を受けることが明らかになりました。種々の有機溶媒で実験したところ、誘電率の高い有機溶媒ほどペプチドの自己組織化を抑制することが示されました。この研究により、水と有機溶媒による共溶媒は表面でのペプチドの自己組織化を制御するためのひとつの手段となりうることが示唆されました。
Sun L., el al., Langmuir, 2021, 37(29), 8696-8704.
Ccorahua R., el al., The Journal of Physical Chemistry B, 2021, 125(39), 10893-10899.
新規デザインペプチドによる自己組織化の制御
これまで、自己組織化ペプチドは雲母、グラフェン、MoS2などの二次元材料上で均一な秩序構造を形成することが知られていました。表面自己組織化ペプチドは二次元材料を利用したバイオセンサーにおいて、分子足場として利用することが期待されます。しかし、水中の2次元材料表面でのペプチド自己組織化構造の安定性は評価されておらず、バイオセンサーで使用できるほどの構造安定性をもっているかはは不明でした。
そこで私たちは、絹タンパク質のアミノ酸配列を模倣することで、超純水で洗浄しても秩序的なナノ構造を維持できる自己組織化ペプチドを開発しました。さらにこのペプチドは、電気化学的に電圧を印可してもその構造が安定していることがわかりました。これは、実用的なバイオセンシングに使える生体分子足場として重要な能力です。このペプチドの自己組織化構造が安定しているのは、ペプチドがβシート状の構造に自己集合していることによるものであると考えています。
私達のペプチドを分子足場として、そこにバイオセンシング用のプローブ分子を結合したペプチドを設計しました。このプローブ付きのペプチドと分子足場ペプチドとの共自己組織化によって、選択的な標的分子の補足に成功しただけではなく、非特異的な吸着を阻害する能力を獲得しました。この技術を使えば、それぞれのペプチドを混合した溶液を滴下するだけで、簡単に2次元材料をバイオセンサーへと変えることができます。基礎的な観点からは興味深いことに、自己組織化構造は2つの相構造を持っており、片方の相のみが標的分子への結合親和性を示しました。
Sun L., el al., RSC advances, 2016, 6(99), 96889-96897.
Li P., et al., ACS applied materials & interfaces, 2019, 11(23), 20670-20677.
ペプチド結晶
これまでタンパク質結晶を用いた構造解析の研究は、タンパク質の2次構造や3次構造などの複雑な構造を明らかにすることで、タンパク質の機能を理解するという点で大きな役割を果たしてきました。その一方で、タンパク質の構造は複雑で、その構造を変化させたり機能を生み出したりする、新たなたんぱく質の設計は容易ではありません。これに対して、タンパク質の配列を短くしたペプチドでは、単純なアミノ酸配列を用いることで、機能と構造を直接的に結びつけることが容易にできます。これによって、新たな物性を開拓し、エレクトロニクスなどへの応用を目指すことができます。
それを実証するため、私たちはフェニルアラニン及びアスパラギン酸からなる2残基のジペプチドを使って基板上での結晶成長制御を行いました。Solution shearing と呼ばれる方法でペプチド水溶液を基板上で乾燥させると、一定の方向に結晶が配向したペプチド結晶配向膜を作成することができ、さらにその結晶形を選択できるということが明らかになりました。
また、芳香環を持つフェニルアラニンの他にグルタミン酸をもつテトラペプチドを用いた結晶化実験では、分子間に稠密な水素結合ネットワークが形成された結晶が成長できることが分かりました。これはラマン分光法とX線構造解析(XRD)もとにした構造解析、さらにFMO計算によって示されたものです。ラマン分光とXRDの結果からわかる水素結合の様式は、これまで知られていたものとは異なる傾向を示しており、ペプチド間に分岐した水素結合が形成されたことによって結晶構造が安定化されていることが明らかになりました。
単純なペプチドの配列においても、わずかな配列の違いでその結晶構造は大きく変わることがわかってきました。これはペプチド分子間の相互作用の様式が多様にあることを示唆しています。私たちは、このような3次元のペプチド結晶の構造解析で得られた知見を、バイオセンサーで使用する2次元ペプチド結晶の新規設計にも活かしていきます。
Motai K., et al., Crystal Growth & Design, 2023, 23(6), 4556-4561.
Motai K., et al., Journal of Materials Chemistry C, 202, 8(25), 8585-8591.
バイオセンサー
2次元ナノ材料を用いたバイオセンサーの概要
バイオセンサーとは、特定の化学物質や生体分子を高速かつ高感度で検出するデバイスです。生体材料(酵素、抗体、核酸など)と物理的なセンサーを組み合わせ、生物学的な反応を化学的・物理的な信号に変換し、目的物質を定量的に測定することができます。生体材料が持つ分子認識機能により、バイオセンサーは検出対象を高い選択性と感度で捉えることが可能です。バイオセンサーは、生体分子認識素子(バイオレセプター)と信号変換素子(トランスデューサー)から構成されます。
バイオセンサーは私たちの身近で広く使われています。例えば、血糖値を測定するためのグルコースセンサーや、ウイルス感染の有無を調べる抗体検査キットもバイオセンサーの一種です。このようにバイオセンサーは臨床診断や創薬にとどまらず、ヘルスケア、環境モニタリング、食品の品質管理など、さまざまな分野で活躍が期待されています。
2次元ナノ材料を使用したバイオセンサーでは、図に示すように、2次元ナノ材料と固定化されたバイオレセプターによって形成された界面がトランスデューサーとして機能します。バイオレセプターが、試料中の標的物質と選択的に補足し、その際に生じる生物学的・化学的な変化を、電気信号に変換して出力します。すでに2次元ナノ材料が優れたセンシングプラットフォームであることは知られていますが、実用的に高い標的選択性と感度を実現するためには、この界面の設計が目下最も重要な技術課題です。
私たちは、これまでグラフェンや単層MoS2の表面をペプチドによって機能化したバイオセンサーの実証を行ってきました。溶液中で標的物質を選択的に検出することに成功し、ペプチド分子足場がトランスデューサーとして高い潜在能力を持つことを明らかにしてきました。
Tezuka S., et al., 2D Materials, 2020, 7(2), 024002.
Noguchi H., ACS Applied Materials & Interfaces, 2023, 15(11), 14058-14066.
Khatayevich D., et al., Small, 2014, 10(8), 1505-1513.
匂いセンサー
ヒトの嗅覚は、鼻の細胞に存在するおよそ400種類の嗅覚受容体と呼ばれるタンパク質によって実現されています。ヒトの嗅覚を再現するような製品が、巷の電気店で売られていない理由は、その実現が非常に困難であったからです。
匂いセンサーとは、揮発性有機化合物(VOC)である匂い分子を選択的・高感度に検出するデバイスです。ヒトが感じられる匂い分子の種類は40万種類もあるといわれています。これまでVOCの検出にはガスクロマトグラフィー質量分析(GC-MS)が主に使われてきました。これは、信頼性の高い検出方法ですが、感度が限りがあることに加えて、機器のサイズが比較的大きいため、汎用的に使用することは困難でした。そこで、私たちは、グラフェン電界効果トランジスタ(GFET)の表面をペプチドで機能化することで小型で高感度な匂いセンサーの開発に取り組みました。
このグラフェン匂いセンサーは、GFETのグラフェン表面にレセプター付きのペプチドを自己組織化させることで作製されています。そのペプチドの配列には、(1)グラフェン表面での自己組織化のための生体分子の足場と、(2)匂い分子に結合するためのバイオレセプターの2つの機能が含まれています。
これを用いることで、匂い分子であるリモネンとその光学異性体を選択的かつ高感度に検出することに成功しました。将来的には、GFETのマルチアレイとペプチドのさまざまなバイオプローブの数が増え、機械学習技術が組み合わさることで、人間のように匂い分子を分類できるようになると期待しています。
Rungreungthanapol T., Analytical Chemistry, 2023, 95(9), 4556-4563.
Yamazaki Y., et al., ACS Applied Materials & Interfaces, 2024, 16(15), 18564-18573.
Homma C., et al. Biosensors and Bioelectronics, 2023, 224, 115047.
人工酵素センサー
酵素センサーの研究は、バイオセンサーや電気化学分野で重要な役割を果たしています。特に、酵素のような働きをする材料の開発が進んでおり、その中でも自己組織化ペプチドを利用したセンサーが注目されています。ペプチドは、特定の分子やイオンを検出するための材料として利用されており、簡単に設計・合成できることが特徴です。私たちのこれまでの研究から、短いペプチドと補因子と呼ばれる金属錯体をグラファイト表面に自己組織化させることで、天然の酵素に匹敵する高効率な触媒反応を実現することに成功しました。このようにペプチドの人工酵素センサーの開発は、化学変換やエネルギー変換の効率を高める新しい技術を提供し、将来的には環境に優しいセンサー材料として広く利用されることが期待できます。
界面計測
界面計測
早水研究室では、バイオ-ナノ界面の測定・観察技術を開発する研究も行っています。ここでは、2次元材料として広く研究されているグラフェンや遷移金属カルコゲナイド(TMDs)を用いたエレクトロニクスの基礎研究をしています。この研究によりバイオセンサーをはじめとした様々なバイオエレクトロニクス分野の研究の発展を目指します。
グラフェンと似た構造を持つ二硫化モリブデンMoS2は特殊な電気的・光学的特性を有する2次元半導体材料として注目されています。このMoS2の層数の制御がデバイス応用のためには不可欠です。そこで、先行研究から他の物質でその有効性が知られているレーザーエッチング法と電気化学的エッチング法を組み合わせたレーザー誘起電気化学的エッチング法を開発しました。この手法では精度良く単層のMoS2を多層のMoS2から生成することができました。
また、私たちはグラフェン中の電子濃度を吸着する有機分子によって制御することを目的として、各種のHOMOレベルを持つ有機半導体分子を用いてグラフェントランジスタの電子密度変調を検証しました。その結果、有機分子のHOMOレベルとドーピング効果には強い相関があることが見出されました。
これらの知見は、すべてのナノ材料表面に吸着する分子によって、ナノ材料自身がどのように電気的な影響を受けるのかを調べるのに有効です。
Sunamura K., et al., Journal of Materials Chemistry C, 2016, 4(15), 3268-3273.
Masujima H., Journal of Electronic Materials, 2017, 46, 4463-4467.
液液相分離(Liquid-Liquid Phase Separation: LLPS)
液液相分離(LLPS)現象とは、水と油が液体中で相分離して液滴を作る現象のことです。この液液相分離現象が、細胞内で重要な役割を担っていることが、生命科学の分野で明らかになってきました。
分子生物学の分野でC9orf72遺伝子の異常によって生成されるポリ(PR)二ペプチドリピートが、液液相分離を介して神経変性疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)や前頭側頭型認知症(FTD)の病因となっていることが明らかになってきました。特に、ポリ(PR)が液液相分離を通じて細胞内の生化学的反応に与える影響が注目されています。私たちはこのメカニズムを分子間の相互作用に注目して調査しました。
実験方法としては、ポリ(PR)に対して配列の異なる変異体を作製して、LLPSの挙動を観察しました。具体的には、PやRの数を変えて、PRPRやPPRRなどそれぞれのアミノ酸の連続長を変えたペプチドを作製し実験を行いました。また、定量的プロテオーム解析を実施し、ポリ(PR)と相互作用するタンパク質の特定を行いました。さらに、蛍光顕微鏡を用いた光褪色後蛍光回復法(FRAP)を用いて、細胞内でのポリ(PR)の拡散特性を評価しました。
結果として、アルギニン残基とプロリン残基が隣り合って配置したポリ(PR)が最も細胞毒性を示しました。ポリ(PR)は、正の表面電荷を持つタンパク質との多価相互作用し、LLPSを介して細胞内の生化学的反応を妨げます。特に、ポリ(PR)が形成する相分離した液滴が、核内のタンパク質NPM1の転写、翻訳、拡散を阻害することが確認されました。これにより、ALSの病理におけるポリ(PR)の役割を理解するための新たな知見が得られました。
この研究は、ポリ(PR)の特性とその神経細胞に対する影響を明らかにすることで、ALSやFTDの治療法の開発に向けた基盤を確立することに貢献しました。
Chen C., et al., Langmuir, 2021, 37(18), 5635-5641.
Chen C., et al., Journal of Cell Biology, 2021, 220(11), e202103160.